新しい文化財保護のあり方―文化財保護法の改正をめぐって―

 

 

はじめに

 一九五〇年代後半から七〇年代初めの高度経済成長優先の時代の中で、環境や景観などの価値は二次的なものとされ、後戻りが出来ない国土の改変が進んだ。経済的な発展こそが社会発展の唯一絶対の物差しと考えられ、それを阻害するものは古くさいもの、捨て去るべきものと考えられた。そうしたなかで、経済発展による都市化や道路拡幅による町並みの変貌、農山村の過疎化の進行、圃場整備事業進展による耕地景観の変貌、歴史的地名の消失などが進んだ。

 しかし、ドルショック、オイルショックを契機とした低成長・「安定」成長の時代をむかえると、高度経済成長と引き換えに支払った代償の余りの大きさに気付いた人びとは、「効率化」に資することのない「時代遅れ」のもののなかに価値を見出すようになった。それは、例えば一九七五年の文化財保護法の改正に示されている。ここでは「伝統的建造物群保存地区」の制度ができ、「景観」を文化財として位置付ける嚆矢となった。近代的な都市化の進展の対極にあった「過疎地の町並み」に価値が見出されることとなった。これは、自然と文化は密接な関係にあり、ともに守るべきものであるという考え方に基づいて成立した一九七二年の世界遺産条約に見出すことができる。日本がこの条約を批准したのは一九九二年で、最近ブームとなっている「世界遺産」に日本の文化財が登録されるようになったのである。自然遺産・文化遺産及び複合遺産に分類される世界遺産に一九九二年、「文化的景観」という概念が取り入れられ、景観や環境なども保護の対象とみなされるようになっている。

 環境という視点について言えば、すでに一九六六年、アメリカの経済学者ケネス・E・ボールディング博士は「宇宙船地球号」という考え方を述べた。「地球環境」という問題が人類にとって大きな問題になることはすでに高度経済成長期に明らかになっていた。これが現実問題として大きく取り上げられるようになったのは近年のことなのである。

 今回の研修会では、こうした近年の動向のなかで二〇〇五年四月施行の文化財保護法がもつ意味について、地方からの視点に基づいて考えてみたい。

 そこで、周知のことの繰り返しになるかもしれないが、日本における文化財保護の歩みをまず概観し、そのなかで今回の改正の位置付けについて考えてみたい。

 

 

1 戦前の文化財保護

(1)文化財保護思想のはじまり−古器旧物保存方(明治四年)−

 わが国の文化財保護思想の普及は、廃仏毀釈の反省の中、明治四年(一八七一年)の古器旧物保存方にはじまる(以下図1文化財保護の沿革図を適宜参照)。主として社寺にある「古器旧物」を三一の部門に分け、地方にその調査を命じた。この分類は博物館の資料の分類方法にも影響を与えた。その後、明治一三年から明治二七年にかけて延べ五三九社寺に一二一,〇〇〇円を交付し、その保存金を積み立ててその利子をもって社寺建造物の維持修理にあてさせた(古社寺保存金の交付)。明治一一年に来日したフェノロサは彼に師事した岡倉天心とともに京阪地方の古社寺調査を文部省から命じられ、それが契機となって明治二一年〜三〇年の一〇年間、宮内省に臨時全国宝物取調局が設置され、全国の古社寺を中心とする「宝物」(この頃は「文化財」という用語はまだ無い。その出現は戦後の文化財保護法による)の調査が行なわれ、古文書一万七千点余、絵画七万四千点余、彫刻四万六千点余、工芸品五万七千点余、書跡一万八千点余の計二一万五千点余が調査され、うち約一万五千点ほどが優品として鑑査状が発行され、又は参考簿に登録された。この調査により京都・奈良の社寺に特に優れた「宝物」が所蔵されていることが判明し、東京(明治二二年)・奈良(明治二八年)・京都(明治三〇年)に各々帝国博物館が設置される契機となった。

 

(2)文化財保護制度の原型−古社寺保存法(明治三〇年)−

 明治二七年、二八年の日清戦争を経て高揚した民族意識を背景に、それまでの古社寺保存対策を進め、明治三〇年、建造物及び宝物類の維持修理が不可能な古社寺に対し、保存金の下付の出願を法定し、その修理に関して地方長官の指揮監督権を定めた「古社寺保存法」が制定された。また、社寺の建造物及び宝物類で特に歴史の證徴又は美術の模範となるべきものを内務大臣が古社寺保存会の諮詢を受けて、特別保護建造物又は国宝の資格あるものと定めることができるとした。特別保護建造物又は国宝は処分、差押の禁止、監守義務、国宝の博物館への出陳義務・罰則等が定められた。これは我が国における文化財保護制度の原型ともいうべきものであった。なお、これによりこれまで宮内省・内務省に分かれて行われていた文化財保護行政は内務省の管轄するところとなった。その後、大正二年以降文部省の所管に変更された。

 

(3)景観や環境保護への視点のはじまり−史蹟名勝天然紀念物保存法(大正八年)−

 古墳や出土遺物に関する措置は明治初年から整えられていった。古墳発見ノ節届出方(明治七年)、人民私有地内古墳等発見ノ節届出方(明治一三年)は、天皇陵の比定と関連して、古墳の発掘規制・不時発見の届出制を定めたものである。その後出土遺物に関して遺失物法(明治三二年)、学術技芸若ハ考古ノ資料トナルヘキ埋蔵物取扱ニ関スル件(明治三二年)などが制定された。

日清・日露戦争後の急速な国土開発のなかで、史蹟、天然記念物の破壊が進んでいたことに対し、保護の対象から外れていた史蹟名勝天然紀念物(戦後は「史跡名勝天然記念物」と表記)を破壊から守るために、大正八年「史蹟名勝天然紀念物保存法」が制定された。ここでは、史蹟・名勝・天然紀念物は内務大臣が指定し、保存に関し地域を定めて一定の行為を禁止又は制限し又は必要な施設を命ずることができること、内務大臣は地方公共団体を指定して紀念物の管理を行わせることができること、さらには現状変更等の制限及び環境保全命令の規定、違反に対する罰則などが規定された。なお、制定時は内務省の所管であったが、昭和三年に文部省に移管された。

 

(4)古社寺以外の宝物の保護−国宝保存法(昭和四年)−

 昭和恐慌を契機とした古社寺保存法の対象外の文化財、特に旧大名家などが所蔵する宝物類が散逸する等の事態を避ける必要性、旧幕府体制の崩壊後放置されていた城郭建築等の古社寺以外の文化財の保護の必要性から、古社寺保存法にかわって「国宝保存法」が制定され、社寺有以外の絵画、書跡等も指定できるようになった。

 建造物、宝物その他の物件で、特に歴史の證徴又は美術の模範となるものを文部大臣が国宝に指定することができることとし、古社寺保存法では特別保護建造物又は国宝と分かれていたものを、国宝に統一した。また、補助金の制度を整え、国宝の輸出・移出、現状変更は文部大臣の許可を受ける必要があることなどが定められた。

 

(5)文化財を「認定」する制度−重要美術品等ノ保存ニ関スル法律−

 昭和初年の経済的な混乱の中で、国宝に指定されていない重要な美術品が海外に流出したことから、その防止を目的として、「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」が制定された。ここでは、現に生存する者の製作に係るもの、製作後五〇年を経過しないもの及び輸入後1年を経過しないものを除いて、歴史上又は美術上特に重要な価値があると認められる未指定物件の輸出又は移出は文部大臣の許可を要することとされた。海外流出を防ぐために迅速な調査が行なわれ、主として個人所有の優品に重点を置いて認定が行なわれた。

 

(6)第二次世界大戦の時期〜終戦直後の状況

 第二次世界大戦・太平洋戦争の時期には、国宝と史蹟の指定事務や管理事務はかろうじて継続されたものの、昭和一九年に重要美術品の認定事務、名勝・天然紀念物の指定事務が停止されるなど保護行政は停滞を余儀なくされた。このほか、建造物等の防空対策、記録・図面・写真などの調査や、美術工芸品の疎開などがすすめられた。

 戦後、昭和二〇年一〇月に重要美術品の認定事務、名勝・天然紀念物の指定事務が再開、疎開先からの返還などが進められた。さらに、昭和二二年五月に帝室博物館が文部省所管となって国立博物館と改称し、指定事務を扱うようになった。そうしたなかで、昭和二四年一月、文化財保護法の制定の契機となった法隆寺金堂壁画が焼失するという事件がおこった。

 

 

2 戦後の文化財保護

 

(1)文化財保護法の制定(昭和二五年)

 法隆寺金堂壁画焼失事件を契機に、戦前の国宝保存法、史蹟名勝天然紀念物保存法の保護対象を「文化財」という新しい概念にもとに包摂し、統一的な保護をはかる「文化財保護法」が議員立法により成立した。その特徴は、「文化財」概念の採用以外に、無形の文化的所産で歴史上又は芸術上価値の高いものも「文化財」として新たに保護対象としたこと、また、土地に埋蔵されている文化財(埋蔵文化財)についても法律による保護対象としたことがあげられる。これにより有形文化財、無形文化財、史跡名勝天然記念物、埋蔵文化財という文化財の分類ができあがった。

 国の指定については、有形文化財のうち重要なものを重要文化財に、記念物のうち重要なものを史跡、名勝又は天然記念物に指定することとしたが、さらに重点保護を講じるための措置として二段階指定制度が取り入れられ、重要文化財、史跡名勝天然記念物のうち特に重要なものを国宝、特別史跡、特別名勝及び特別天然記念物に指定できることにした。また文化財保護を進める組織として、文部省の外局として行政委員会の「文化財保護委員会」が設置された。これは、時の政治動向とは独立した保護行政を実施するための措置であった。なお、保護法の施行により、国宝保存法及び史蹟名勝天然紀念物保存法は廃止され、両法による指定は保護法による重要文化財又は史跡名勝天然紀念物の指定とみなされた。また重要美術品等ノ保存ニ関スル法律は保護法の制定により廃止され、新たな認定は行なわないこととされたが、保護法の附則で、現に認定されている物件については、当分の間効力を有するものとされた。

 以下、その後の文化財保護法の改正についてみることにするが、昭和二九年、同五〇年、平成八年の三回の大きな改正を中心にとりあげることとしたい。

 

(2)昭和二九年の保護法改正(第一次改正)

 文化財保護法施行後三年を経て第一次改正が行なわれた。その主な内容は、@重要文化財及び新設の重要民俗資料について管理団体制度を設けたこと、A無形文化財について新たに重要無形文化財の指定及びその保持者の認定の制度を設けたこと、B民俗資料について、有形文化財から分離し、重要民俗資料の指定の制度を設けるとともに、新たに無形の民俗資料の記録保存の制度を設けたこと、C埋蔵文化財につき、周知の埋蔵文化財包蔵地における土木工事等の規制制度を設けたこと、D「記念物」のうち重要なものを史跡名勝天然記念物に指定するという関係が明確化されたほか、制度の整備が行なわれたこと、E地方公共団体の役割を明確化するため、地方公共団体の条例による文化財保護に関する規定の新設、国の権限の都道府県教育委員会への委任範囲の拡大等である。

 

(3)文化財保護委員会から文化庁へ(昭和四三年)

 政府全体の行政改革の一環として、文化財保護を担当する行政委員会である文化財保護委員会と、文化行政を担当する文部省文化局が統合され、文部省の外局として文化庁が設置された。これに伴い、文化財保護の事務は、重要文化財、記念物等の指定又はその解除等の事務は文部大臣に、その他の諸事務は文化庁長官に属するものとされた。また、それまで諮問機関として置かれていた文化財専門審議会にかわり、文部大臣の諮問機関として文化財保護審議会が設置され、文化財専門審議会は専門調査会として審議会の下に位置付けられた。

 

(4)昭和五〇年の保護法改正(第二次改正)

 昭和三〇年代〜四〇年代を中心とする高度経済成長にともなう社会構造の変化や、文化財に係る開発事業等の増加に伴い、文化財保護に関する様々な問題が提起され、大きな改正が行われた。少々煩瑣にわたるが、大きな改正であったことから、その主な内容を示すこととしたい。

@有形文化財の範囲の拡大、すなわち有形文化財の範囲として、建造物・絵画・彫刻等と一体をなして価値を形成している土地その他の物件及び学術上価値の高い「歴史資料」が加えられたこと、A重要文化財について、「保存に影響を及ぼす行為」を許可制にしたこと、B重要無形文化財の保持者認定制度に加え、保持団体の認定制度を設けたこと、C民俗資料という呼称を「民俗文化財」に改め、新たに無形の民俗文化財について重要無形民俗文化財の指定制度を設けるとともに、重要民俗資料は重要有形民俗文化財と呼称されることとなったこと、D重要文化財・史跡名勝天然記念物の現状変更等の制限に伴う損失補償制度を設けたこと、E地方公共団体が行う埋蔵文化財に対する業務に関して、国・地方公共団体の機関等による周知の埋蔵文化財包蔵地における土木工事に関する事前協議制の創設、遺跡の新発見に関して、発見の原因となった行為の停止命令等の制度の新設、発掘調査に関する地方公共団体の権能等に関する規定の整備、F伝統的建造物群保存地区の制度を創設し、「周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的な建造物群」を文化財の新しい類型とした。他の重要文化財等が国の指定によることとされているのに対し、市町村が条例で保存地区を規定し、国はそれを重要伝統的建造物群保存地区として選定するという形に特色がある。G文化財の修理を行なう上で用いられる伝統的な技術について、「選定保存技術」として選定し、保持者・保持団体を認定する保護制度の新設、H都道府県の教育委員会に文化財専門委員の制度にかえて文化財保護審議会を設置できること、また文化財保護指導委員を置くことができることとされた。

 これらにより、有形文化財、無形文化財、民俗文化財、記念物、伝統的建造物群及び文化財の保存技術、埋蔵文化財という類型が整った。

 

(5)平成五年・六年の保護法改正

 平成五年一一月(行政手続法の制定に伴う改正)、平成六年六月(地方自治法の改正に伴う改正)、平成六年一一月(許可・許可等の整理及び合理化に関する法律の施行に伴う改正)に改正が行なわれたが、詳細は省略する。

 次に平成八年の第三次の保護法改正を取り上げるが、その前に、第三次の改正を準備した動向についてふれておく。

 

 

3 近年における新たな文化財保護についての取組み

(1)「時代の変化に対応した文化財保護施策の改善充実について」(平成6年)

 昭和五〇年の第二次の改正以後、「大規模な国土開発、生活様式の変化、地方における過疎化・高齢化などの社会構造の変化による埋蔵文化財や歴史的建造物の損壊、伝統的な民俗芸能・行事の消滅」「国民の文化に対する志向の高まりの中で、地域の歴史的建造物や史跡・名勝、伝統的な芸能等の持つ精神的価値の見直しとこれらを活かしたまちづくり・むらおこしの気運の高まり」「文化財を活用した国際交流の機会の増大」「情報技術の急速な発展」(以上、文化庁『新しい文化立国の創造をめざして』より)など、文化財を取り巻く環境の急激な変化に対応する必要が新たに生じてきたため、文化庁は平成四年、文化財保護審議会の下に文化財保護企画特別委員会を設置し審議を開始、平成六年七月に最終報告が出された。紙幅の関係で項目の提示にとどめるが、このなかで、今後検討すべき課題として、「文化財保護の対象・保護措置の拡大」について、@文化財の保護措置の拡大(指定されていない文化財への保護)、A伝統的な生活文化等に対する保護制度の拡充(保護対象分野の拡大)、B近代の文化遺産の調査・研究及び保護措置の推進、C現代の芸術文化、生活文化の保護、D無形の文化財の変化への対応、が指摘された。

 特に@に関して、指定制度を補完する制度として登録制度の導入が指摘されたことは建造物に登録制度を導入した平成八年の保護法改正(第三次)を準備し、また民俗文化財や記念物へ導入した今回の改正を準備したものとして重要である。

また、文化財の総合的な把握の必要性に関しては、各種文化財の総合的な把握と保護(文化財の類型の枠を超えた総合的、一体的保護、文化財を取り巻く景観や環境をも含めた保護)が指摘された。この点は、文化財の類型として「文化的景観」を加える今回の改正の前提となった。

このほか、「文化財の保存伝承基盤の充実」「文化財活用の推進」「文化財の国際交流・協力の推進」「文化財保護行政の体系化と機能の強化」について詳細な報告がなされた。

 

(2)「近代の文化遺産の保存と活用について」(平成8年)

平成六年七月の文化財保護企画特別委員会の報告を踏まえ、その中の「近代の文化遺産」の保存と活用について、協力者会議が組織され、その検討結果が平成八年七月にまとめられた。そこでは、@現行の指定基準の見直しや近代の文化遺産の指定の促進による保護、A文化財の登録制度などの保護手法の多様化、B地方公共団体における近代の文化遺産の保護の促進が提言され、そのための重点課題として、@全国的調査の実施、A情報の蓄積・整理の促進、B公開の促進、C保存方法等の研究開発の推進、D人材の養成・研修、E関係省庁・機関・団体等との連携・協力の強化、F国民の理解・協力の増進の必要性が指摘されている。

 なお、ここで示された近代の文化遺産の時代範囲と対象は表1のとおりである。

このような議論の中で、平成七年に史跡の指定基準が、平成八年に建造物の指定基準が改正され、近代の遺跡、建造物の指定を進める前提が整えられた。

 

(3)平成八年の保護法改正(第三次)

 「時代の変化に対応した文化財保護施策の改善充実について」(平成六年)、「近代の文化遺産の保存と活用について」(平成八年)などの内容をふまえ、平成八年六月に第3次の保護法の改正が行なわれた。

 この改正の最大の眼目は、建造物のうち国及び地方公共団体が指定した文化財以外のもので保存及び活用の措置が特に必要とされるものを文部大臣が文化財登録原簿に登録する制度が創設されたことである。指定文化財が現状変更等について許可制を取るのに対し、届出制をとるなど、所有者の協力を得ながら適切な保存を図る緩やかな保護制度である点に特色がある。

 このほか、重要文化財の現状変更の許可等について、都道府県の教育委員会に加えて、指定都市及び中核市の教育委員会にも委任できることになったことや、市町村教育委員会にも文化財保護審議会を置くことができることとなったこと、さらに、重要文化財の公開について、公開承認施設の設置者が主催する場合に届出ですむこととされた点などがある。

 

(4)平成一一年の保護法改正

平成一一年の地方分権一括法の成立に伴って、国と地方公共団体の事務の整理等が行われ、保護法についても関係部分の改正が行なわれたが、後述する。

 

(5)「文化財の保存・活用の新たな展開―文化遺産を未来に生かすために―」(平成13年)及びその後の動向

 平成一三年一月、中央省庁の再編が行なわれ、文化庁に係る各種審議会を統合した「文化審議会」が設置され、文化財保護審議会は文化審議会文化財分科会として再編された。そのもとに設けられた企画調査会により標記の報告が平成一三年一一月に出された。長文にわたる報告の全体を示すことは出来ないが、図2を参照しながら概略を述べておきたい。

 まず報告では、第一に、現在を社会構造や国民意識・グローバル化の進展による国際交流・地方分権・規制改革などの点から、時代の転換点として位置付け、これに対応する政策を導き出すために五つの視点を設け、第二に、文化財の保存活用の今後の取組として、T幅広い連携協力による文化財の保存・活用、U文化財の公開・活用の促進、V文化財の保存の充実を示した上で、第三の課題として、総合的視野に立った文化遺産の保存・活用を示した。特に、第三として示された中で、従来の文化財を含む「文化遺産」の概念を明示し、文化財の周辺環境・文化的景観・近代の文化遺産・総合的な把握・緩やかな保護手法の導入などの視点を示した点はきわめて重要であろう。

 地方公共団体における文化財保護の今後のあり方を考える上でも大きな示唆をあたえる報告である。

その後、平成一三年一二月には「文化芸術振興基本法」が公布され、文化政策全体の中に文化財が位置付けられ、平成十四年一二月の閣議決定「文化芸術の振興に関する基本的な方針」が行なわれ、文化財を含む文化政策に対する政府の基本方針が示された。

なお、これと前後するが文化審議会は平成十四年、「文化を大切にする社会の構築について―一人一人が心豊かに生きる社会を目指して―」(答申)を文部科学大臣に行なった。その中で文化財に関しては、「4 文化遺産を保存し、積極的に活用する」のもとに、「(1)文化財の積極的な公開・活用の促進」「(2)総合的な視野に立った文化遺産の保存・活用」「(3)人々の主体的な参加による文化遺産の保存・活用」として位置付けられている。

平成一三年から一四年は、わが国における文化政策及び文化財政策が大きく位置付けなおされた時期と言うことができる。

 

 

4 平成一六年の文化財保護法の改正

 文化財保護法の一部を改正する法律が、第一五九回国会において成立し、平成一六年五月二八日、法律第六一号をもって公布され、平成一七年四月一日から施行されることとなった。これは、すでに触れた平成一三年から一四年の文化審議会の答申等や閣議決定における指摘をふまえ、改正したものである。

 その概要は、別紙1を参照いただきたいが、主要な点として、

@人と自然のかかわりの中で作り出された景観を、「文化的景観」として新たに位置付けること。国は、都道府県又は市町村の申出に基づき、文化的景観のうち特に重要なものを重要文化的景観として選定し、保護措置を講ずること。

A生活や生産に関する用具、用品等の製作技術など地域において伝承されてきた「民俗技術」を民俗文化財の一形態として位置付け、現行の民俗文化財と同様の保護措置を講ずること。

B近年、開発等による保護の必要性が高まっている近代の文化財等を保護するため、届出制と指導・助言・勧告を基本とする緩やかな保護措置である登録制度について、従来の建造物に加え、建造物以外の有形文化財、有形の民俗文化財及び記念物に拡充すること。

がある。

 この改正の内容については、法律六一号の公布以後平成一六年一二月二七日付け「文化財保護法の一部を改正する法律等の施行について」(16庁財第320号)によって、法文の趣旨について通知が出されているが、実施のための文部科学省令については三月四日現在内容は明らかになっていない。

 一二月二七日付けの通知の内容について、ここで細かく触れることはできないので、「文化的景観」の保護措置をとる趣旨に関する記述を引用して理解の助けとしたい。

「田や畑などの農耕地、里山、漁場などの川や海の近辺等には、地域の人々が自らの生活や生業のあり方を土地に刻みつけることによって、長い時間が経つうちに形作られてきた「原風景」ともいうべき独特の風景がある。人と自然との関わりの中で育まれた風景には、歴史的な時間の積み重ねがもたらした独特な美しさとともに、豊かな文化的価値が込められている。このような風景は、一般的に「文化的景観」と呼ばれる。文化的景観は、その地域の歴史及び文化と密接に関わる固有の風土的特色を表す文化遺産であり、近年の土地開発や過疎化等によりその文化的価値が認められず消滅していくことが多い。このような状況を踏まえ、今回の法改正において、文化的景観を新たに文化財として位置付け、所要の保護措置を講ずることとした」

 なお、文化財の類型に「文化的景観」を導入するについて、検討委員会による調査研究が行われ、『農林水産業に関連する文化的景観の保護に関する調査研究報告』(平成一五年六月)が報告された。

 この改正により、今後の文化財保護の体系は、図3に示したような体系となる。

 戦前の「国宝」・「史蹟名勝天然紀念物」の体系から、戦後の昭和二五年の文化財保護法では有形文化財、無形文化財、民俗資料(のち民俗文化財)、史跡名勝天然記念物の、昭和五〇年の改正で伝統的建造物群が加わり、平成八年には登録制度(建造物)が導入されるというように、文化財の類型は増えてきたのである。国における関係事務の増加はもちろんであるが、関係する事務は地方公共団体でも増加することとなる。

 

 

5 新しい文化財保護のあり方をめざして

(1)地方分権と新しい保護策の必要性

 平成一一年の地方分権一括法により、それまでの「機関委任事務」は廃止され、自治事務か法定受託事務に分けられた。それに伴い、様々な事務が再編されたが、文化財保護法に関しては、主として埋蔵文化財関係の規定が改正され、都道府県・政令指定都市・中核市に権限が移されたものが多い。

 しかし、一方で今回の改正に見られるように、新たな事務が増えることから、国では人的、財政的な措置がなされたものでも、地方ではなされないままになる可能性が高いという事態が生じている。国の事務について、機関委任事務としての位置付けはなくなっても、事務自体は自治事務ないし法定受託事務として、地方公共団体の事務になるのである。地方文化財行政における国の指定等文化財に関する事務は増加すると言わざるを得ない。

 他方、地方には地方独自の文化財保護行政があり、これまで国の文化財とは別立ての位置付けとされてきた。国と地方の関係は、文化財保護法に地方公共団体の条例制定に根拠を与える条文が規定されているだけで、例えば文化財保護審議会が市町村に設置することが規定されたのが平成八年の保護法の改正に際してであることを考えると、地方の立場から考えた場合、国、地方全体を見渡した文化財保護行政のあり方をトータルに議論することが必要ではないかと思われる。この問題の象徴が、地方指定文化財が国の文化財に指定されると、地方の指定を解除するという事態である。かつて一志茂樹氏は、このような状況を批判し、国指定になっても地方指定を解除する必要性はないと主張した。(『文化財信濃』第五巻四号)むしろ地方における文化財としての位置づけを明確にする意味でも、この状況は改めていく必要があると思われるが、ここでは紙幅が足りないので詳細は別に考えることとしたい。

 新しい保護策という点では、これまで地方では教育委員会が担ってきた文化財保護行政について、これまでのあり方を基礎としながら、教育委員会以外の首長部局の施策の中に文化財保護の考え方を取り入れて、「指定」文化財以外の広い意味での文化遺産についても保護できるよう考えていく必要がある。人づくり、まちづくり、観光資源などとしての文化遺産の位置付けを考えると、文化財保護行政における国・地方の関係のあり方の再検討とともに、教育委員会のみで担ってきた文化財保護行政のありかたについても考え直す時期に来ているように思われる。

 

(2)近年のさまざまな取組み

 次に、近年いくつかの道・県で始まった新たな取り組みについてみておくことにしたい。

・「二二世紀に残す佐賀県遺産」(佐賀県・知事部局+民間)

  図4にあるように、文化財保護法・文化財保護条例の枠から離れ、「佐賀県遺産会議」と「選定委員会」が中心になって取り組む形になっている。

 

・「北海道遺産」(北海道・知事部局+民間)

  「次の世代へ引き継ぎたい有形・無形の財産の中から、北海道民全体の宝物として選ばれたのが「北海道遺産」です。第一回選定分二五件は平成一三年一〇月二二日に決定・公表されました。北海道の豊かな自然、北海道に生きてきた人々の歴史や文化、生活、産業など、各分野から道民参加によって選ばれました。(中略)選定の基準には学術的な価値や美的な価値など「客観的な評価基準」だけではなく、地域が保全・活用に取り組んでいるものや、今後の取り組みに期待できるものなどの「思い入れ価値」が大きなウエイトを占めています。この思い入れこそがこれからの北海道づくりにとって大切なものだと考えられるからです。そして、この二つに「北海道らしさ」を加味して選定されています。一般に遺産という言葉からは「過去のもの」というイメージが広がりがちですが、「北海道遺産」は地域の未来を創造していく資産なのです」(北海道遺産のホームページより)

 

・「歴史文化遺産活用構想」(兵庫県・教育委員会)

  兵庫県教育委員会では、平成一二年一〇月に兵庫県文化財保護審議会から二つの建議が行われた。「次世代への継承と新しい文化の創造のために」と「循環型社会における歴史文化遺産の活用方策について」である。これらの前提には阪神淡路大震災による文化遺産の破壊という問題があるが、前者では、今後、文化財行政を推進するに当たってのキーワードとして、@グローバル化、ボーダレス化の時代におけるアイデンティティの確立と世界文化の向上発展への貢献、Aこころ豊かな人々を育む生涯学習社会への貢献、B循環型社会構築への貢献、C地域づくり・まちづくりへの貢献を強調し、二一世紀における文化財保護のありかたについて提言した。後者では、循環型社会における歴史文化遺産の活用方策、特にまちづくりにおいて歴史文化遺産を利活用するには、独創的なアイデアや市場の動向に敏感な能力が要求されることから、歴史文化遺産の活用を推進する「兵庫県ヘリテージ・マネージャー(歴史文化遺産活用活性化推進委員)」を民間から養成し、これまでの行政主体のあり方から転換をはかることを提言した。

  このうち兵庫県ヘリテージ・マネージャーについてはすでにその養成が行われており、また活用のあり方については、平成一五年三月に『歴史文化遺産の活用に関する報告書−ふるさと文化の創造的伝承−』としてまとめられた。詳しくはこの報告書を参照していただきたいが、考え方の前提にこれまでの指定文化財・未指定文化財及びその周辺環境全体に及ぶ「歴史的・文化的・自然的遺産群」を「歴史文化遺産」と定義し、それを視野に入れた保護と活用をはかるというものである。

 これからの地域における文化財保護のあり方を考える重要な視点である。

 

・「とやま文化財百選事業」(富山県・教育委員会)

  富山県教育委員会では、県独自の調査事業として「土蔵」の調査を実施するなど、これまでも特色ある事業を行ってきたが、平成一六年度から、「地域の宝として住民の皆様に親しまれている県内の文化財を対象として、後世に保存継承すべきものを選定し、所有者や地域による文化財愛護意識の向上と普及啓発の推進を図る「とやま文化財百選事業」を実施」している。平成一六年度は「土蔵」を対象にこの事業を行い、選定委員の一部については公募している。

  これは、指定等による保護以外に、「百選」のような形で県民の文化財保護意識を高めることによってより効果的に文化財保護を進めようとするものである。

 

(3)新たな取組みの方向

 以上、若干の事例をみてきたが、そこから伺うことができる新たな取り組みの方向として、

@これまでの「保護」に重点を置いた施策から、「活用」に目を向けた施策を図っていることである。「保護」に重点を置く段階であれば教育委員会主体の施策でも十分であるが、「活用」ということになると、農林水産業、鉱工業、商業などの産業施策と密接な連携が必要となることは言うまでもない。地域づくり・人づくりの施策に教育委員会としてどう取り組むことができるかが鍵となる。地域づくりで言えば、土地利用計画、都市計画、農山村整備計画などとの連携が必要であるし、人づくりで言えば、これまでの「学校教育とは別の生涯教育」という考え方から、「学校教育における社会教育・生涯教育」、「社会教育・生涯教育における学校教育」、あるいは社会福祉政策と教育政策といったなかに文化遺産活用の視点を入れていく必要がある。

A上記のように「活用」を視点とすると、これまでの学術的評価による文化財の「価値付け」のみでは不十分になる。地域の文化遺産の価値を、より地域の人々にとっての価値(思い入れ価値=大切なもの)から位置づけることも重要になると思われる。国の文化財が一番上で、次が県、その下が市町村、といった観念からの解放も同時に果たされなければならないと思う。

 

(4)長野県教育委員会の取組み

 このような中で、今長野県教育委員会では、長野県における新たな文化財保護のあり方を検討しているところである。未だ案の段階ではあるが、ここにその概要を図5に紹介しておきたい。

 

 

まとめ

 本報告は、平成一七年四月に文化財保護法が施行されることにちなみ、これまでの保護法の歩みをたどりながら、今後のあり方について考える契機になればと考え、報告したものである。

 未だ文部科学省令など細部が明確にならないことから、改正についての説明はほとんどすることができなかったが、いずれにしろ、四月以降文化財保護法改正への対応していくことが求められることになる。その際、自戒を込めて言うならば、文化財保護の原点に改めて立ち返ることが大切ではないかと思う。

 明治初年、臨時全国宝物取調局が設置され、そこで調査された「宝物」がその後の日本における文化財保護の基本台帳になった。今、地域においてこれまでの文化財の枠を越えた「文化遺産」の保護が必要とされている。ここで必要なのは、今までの「リスト」加え、新たな文化遺産の確認とそのリスト作りに取り組むということではないかと思う。どのような保護策をとるにせよ、どこに何があるのかを把握すること、これは指定・未指定にかかわらず、阪神淡路大震災や、昨年の新潟県中越地震における教訓であり、文化財予備軍=「未指定文化財」の状況把握がきわめて重要であることを再確認する必要がある。

 こうしたリストや情報を収集する上でも、また災害時の文化財救済の情報網・連絡網として活用できるという意味でも、国・県・市町村と地方史研究団体・博物館協議会・美術館協議会・文化財保護団体などの民間団体との連携について考える必要があると思われる。

 

(あとがき)

 今年度の文化財保護研修会は、平成一六年五月に公布された「文化財保護法」(施行は平成一七年四月)の改正が大幅なものになることから、これまでの文化財保護の歩みを振り返り、今後のありかたについて考えるという趣旨で行われた。本稿はその際の報告「新しい文化財保護の方法」を文章化したものであるが、紙幅の関係から大幅に内容を省略せざるを得なかった部分があることをおことわりしておきたい。なお、本稿に示された見解は、文中の「みんなの信州遺産」の部分を除き、長野県教育委員会の公式見解を示すものではない。

 

(参考文献)

・中村賢二郎『文化財保護制度概説』(ぎょうせい 一九九九年)

・川村恒明監修・著、根木昭・和田勝彦編著『文化財政策概論』(東海大学出版会 二〇〇二年)

・飯沼賢司『環境歴史学とは何か』(日本史リブレット23 山川出版社 二〇〇四年)

・文化庁『新しい文化立国の創造をめざして 文化庁30年史』(ぎょうせい 一九九九年)

・文化庁『文化財保護法五十年史』(ぎょうせい 二〇〇一年)

・『文部科学時報』一五〇八号(平成一四年一月)特集「文化財の保存・活用の新たな展開」

・『文化庁月報』四三五号(平成一六年一二月号)特集「新たな文化財保護行政の展開」

・『文部科学時報』一五四六号(平成一七年一月)特集「新たな文化財穂儀行政の展開」

 

 

 

(本稿は『文化財信濃』31−4に掲載された同題の論考から図版を除いたものである。同誌が縦組みのため数字標記を漢数字としているがご了承ください)

 

 

 

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